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済州島便り vol.048(2011/10/15)

周藤先生の講義

5. メシヤの使命(12)

周藤先生

《ローマ帝国迫害時代》
 40日間の霊的な復活の期間を通して、イエス自らが霊的な信仰基台を立てられ、そのイエスと12弟子が一つとなることで、霊的な実体基台がつくられました。
 その基台の上で霊的なイエスを父とし、聖霊を母とする霊的重生の摂理が、五旬節の日から始まりました。
 キリスト教は、ペテロ・パウロなどの使徒たちによってシリア、小アジアなど、パレスティナ以外の地にも広められて行きました。特に「異邦人の使徒」と呼ばれたパウロは、復活のイエスと出会い、回心した後には熱心な伝道者となり、小アジアからギリシア、61年ごろには首都ローマに行きペテロと共にローマ伝道に力を尽くしました。
 しかし、64年、ローマの大火の際に、暴君ネロはそれをキリスト教徒のせいにし、多くのキリスト教信者を捕え、十字架の刑、火あぶりの刑にしました。パウロもペテロも同じころ殉教しました。
 信者は総延長560kmにも及ぶ地下納骨墓であるカタコンベで集会や礼拝をもちました。しかし彼らは、魔術を行う、幼児の血を吸う、人肉を食べるなどの噂を立てられ、ローマの民衆からの迫害の対象となりました。3世紀に入り、皇帝の神聖化、上層階級や都市への統制の強化と重税は、キリスト教徒迫害の様相を一変させ、デキウス帝(249年即位)はローマの神々への供犠を拒むクリスチャンを処刑しました。ヴァレリアヌス帝(253年)の迫害、ディオクレティアヌス帝(284年)と、波状的な大迫害が繰り返されて行きました。
  

修練生の感想

● 第237回14日修 岩手 S.C (29) F

 14日間があっという間に過ぎていきました。今回家庭出発の為に義務付けられているので来ました。5日修でもいいと思ったんですが14日修に来て本当に良かったです。私は前泊で来ていたので散歩していたらイルカが見れて感動でした。この修練会で何かをつかんでいきたいと思って出発しました。
 み言葉を又改めて学びながら、初めて済州島の修練会に来たときのことを思い出しました。あの頃は純粋だったなあと。再献身を決意しながらも、神様との約束が果たせずここまで来てしまいました。
 でもここでまたみ言葉に触れながら、今までの自分を振り返りながら、自分の足りなさに気付かされました。この14日間で本当に沢山の神様の愛を感じました。本当に心が救われたような気がしました。
 自分の心がカチカチに固まって怖い顔になっていたのが解けていくのを感じました。何よりも私をここに導いてくれた神様に感謝です。私はここで神様に出会いたいと思っていたけれど、出会えないかもしれないと思っていました。でも、私がこの場に来られたという事が、神様がいる証だということが分かりました。いつも共にいて、与えてくださっているのに、それに私が気付いていないだけでした。本当に遠回りしたし、神様に親不孝ばかりしたけれど、神様は見捨てず私をここまで導いてきてくれました。この14日間は本当に沢山の愛を受け、私の宝物です。

 

●第237回14日修 奈良 M.C (25) F

 今回この修練会に参加する事ができて本当に本当に感謝でした。参加するのも3日くらい前に決まってバタバタ来たんですが、この時に参加できるように神様に導かれてきたように感じます。
 14日集中してみ言葉を学ぶ機会は本当に尊い事で、今回もう一度決意して家庭出発に向けて内外共に準備しようと思い参加しました。
 この修練所はアボニムが日本の為に精誠を尽くされた場であり、アボニムが意識してくださっている場であると思うと、本当にもう一度、私もここでアボニムの前に決意して出発していこうと思えました。講義も改めて最初から学ばせていただいて、新鮮な気持ちで受ける事ができました。この済州島の地でとっても心が開放され、前向きに歩んでいける力を頂きました。正直、人見知りするので心配だったし、日本でもすっきり歩めている様態でもなく、相対関係でも家庭出発に対しても色々と不安があったのですが、神様は一人一人の良い所を知り、全部愛してくださっているんだと改めて感じることができました。自分らしく愛を表現したり意見を言っていけるように心がけたいと思いました。
 帰国後、内外共に再献身し伝道や青年のスタッフとして、そして経済復帰をして家庭出発に向けて精誠を尽くしていきたいと思っています。
  




●第237回14日修 西神奈川 T.A (33) F

 仕事をやめる事が大変で、決意はしたけれど寂しい思いを抱え、また心も重い状態で参加しました。
 でもみ言葉を学んだり、兄弟姉妹から愛され、とても充実した日々を過ごす事ができました。主体者が来るまで何を話したらいいのか分からず緊張しましたが、周りの人に助けられ、私なりに尽くすことができ、話もできるようになり、主体者にも笑顔が見られるようになりました。
 祝福を受けてからだいぶ経ちますが、お互いに知らない事がまだまだあり、私自身も足りない事がたくさんあったので、これから時間をかけて愛を育て、彼の良いところを見つけて生みかえていけるよう頑張っていきたいです。
 神様、御父母様が自分にとってとても遠い存在で、私の祈りなど聞いておられないだろうと思っていたけれど、求めれば応えてくださる事が実感できました。学んだ内容を振り返りこれから新しい環境になって壁にぶつかったとしても、原点にもどれるように、また神様に求めて祈ることを忘れないようにしたいです。
 長い修練会に参加したのは初めてだったけれど、14日の方に参加してよかったです。たくさん頂いた神様の愛を私を通して家族、親戚、友人、知人などに伝え、特に両親が祝福を受けられるよう尽くしていこうと思います。

 

 

●第86回5日修 南東京 I.H (33) M

 修練会に参加させていただき感謝しております。
 本当は5月に相対者と一緒に日本指導者修に参加したかったのですが、様々な事情でこちらになりました。それでもやっぱり、神様は自分に必要な環境を準備して下さっていたと感じました。
 済州島には初めて来ました。「あぁ、ここがお父様が良心は~と叫んでいらっしゃったところか」とか「あぁここが相対者が買い物にきていたファミリーマートか」と、お父様と相対者が歩んだところを辿るような気持ちで過ごしました。
 CARPにいたころ松波先生の四大心情圏の講義を聞かせて頂いたことがあったので、大まかな流れは知っていましたが、その後何年も経ち、自分自身も様々な環境を通過していたので、新たな発見がたくさんありました。印象深いのは「人間ってそんなに重要な存在だったのか」ということと「祝福と夫婦の素晴らしさ」です。
 召命されるのは先祖の功労や様々な条件を考慮して「君、適性があるから来て」みたいなイメージをもっていましたが、そういう事務的なものではなく、神様の「お前を救いたい」という切実な心情が土台であることを感じました。そして祝福がどれだけ凄いことか、夫婦というものがどれだけ素晴らしいかを知るとともに、私達に本当に幸せになってほしいと願う神様と御父母様の親の心情を感じました。

 

●第86回5日修 南千葉 T.Y (30) M

 済州島の修練所はお父様もよく来られ、日本の事を思って愛されている地であると聞いて良いところに来たなあと思いました。深く祈る事が出来たので霊的にも良いところだと思いました。
 これから家庭を持っていくことに対して不安もありましたが、自分が相手を本当に愛していけばいいんだ、と思って愛していくこと出来る相手を与えられたことが恵みであると思いました。



●第86回5日修 北東京 S.M (37) F

 祝福破棄した者は、この修練会に参加することが条件になっていて、何故だ、むしろ先方に行って欲しいと思って納得いかない気持ちを持っていました。み言を受けて勉強をし直しなさいという意味だと思っていたからです。
 でも、先程、屋上で、普段の環境じゃできないような声を出して祈ってみて、私に対して神様はそういう意味じゃなくて来て欲しいって思ってたんだと分かりました。神様は、サタン側に行きそうな私を自然やみ言やスタッフの方や修練生や、色んな事で癒してあげたかったんですね。
 初日は辛かった部屋の中は、楽しい時間になり、晴れたので、周りも気にせず泣きまくって祈れました。10年前から感じ、今も残っていた嫌なことからぶちまけてしまいました。久しぶりに色んな聖歌も歌えたし、席はお写真の近くでした。
 肉親の両親に喜んでほしい、お父様に喜んでほしい。神様は絶対信仰で私を信じてくれている。だから、結婚に向けて再度出発したいです。神様もお父様も遠いと思っていた期間が続いていました。でも、私が背を向けていただけだったと気づかせて頂きました。



●第86回5日修 北東京 H.M (36) F

 今回は原理を学ぶことを中心に来ましたが、やはり難しいです。でも、神様がいて、御父母様がいることには違いないので、それだけ信じ、神様の引いて下さっているレールに勇気を出して乗っていけば神様が全て責任を持って下さると思うので、それを意識していきたいと思います。
 私の場合は、両親が教会のこと知っているので、タマルのように天の知恵を使って少しでも分かってもらえるように、主体者とその家族に協力してもらい、頑張っていこうと思います。そして主体者の家族も少しでも教会に通ってもらえるように、私が先頭に立って引っ張っていきたいと思っています。
 み言の実践は難しいけれど、人の為に自分が今何が出来るのかということを常に考え行動できる人になりたいです。日本に帰ってから勝負!応援して下さい!朝から夜遅くまでの講義をありがとうございました。

   

研修院の足跡

11. 日本女性指導者5万名教育(23)

研修院

《絶対愛と絶対"性"の喪失》
  堕落により神から出発し、神を中心とする第三心情としての夫婦の愛もその方向性を失いました。
  人間の男女の愛の目的は単なる繁殖ではなく、愛を基盤とする人間の人格の完成です。万物世界の第一目的はその種を維持するところにありますが、永遠の霊性を持って創造された人間は、その種を維持する以上に、生命よりももっと尊く根本的な愛の完成にあるのです。
  夫婦の愛の重要な特異性の一つはその絶対性と唯一性にあります。それが相対化されれば、その愛の本質が失われるのです。神の創造理想においては本来、一夫多妻制などは存在しません。一人の男性アダムと一人の女性エバからすべての人類の歴史は出発したのです。
  しかし、この愛が相対化されたのが人間の堕落でした。一人の女性エバが二人の男性格であるアダムと天使長という二つの存在と愛の関係を結びました。
  以来、人間の中に巣食うこの性質は、本心の願いである永遠の愛への理想とは裏腹に、男女の間に断絶感や不信感をもたらし、個人としては輝く業績を残しながらも、たった一度の愛の過ちが人生を台無しにしてしまう、数多くの悲劇を生み出してきました。
  この性質が社会に拡大、蔓延したのが性風俗です。「食べるによく、目には美しく、賢くなるには好ましい」とエバをして思わしめた天使長の誘いがこの社会には満ちています。それらは真の愛を中心とする人間の人格の育成には最大の障害物であり、国運を引き下げ、一国の滅亡までももたらす主要な原因となってきました。
  高価なものであればあるほど、人間はそれらを衆目にさらすことは好まず、人の手の届かない場所に保管します。

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