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済州島便り vol.046(2011/05/15)

周藤先生の講義

5. メシヤの使命(10)

周藤先生

《メシヤ降臨準備時代》
  マラキの預言以降、イエス様誕生の時までは沈黙の400年と呼ばれる期間です。イスラエルの歴史においては、神からのメッセージを語ったり、書いたりして聖書に名を残すような預言者が現れませんでした。
  しかし、イスラエルにとってはペルシャ、エジプト、シリア、ギリシャ、ローマにより民族の独立性を脅かされる激動の期間でした。
  ギリシャのアレキサンダー大王はパレスチナにギリシャの言語と習慣を広めました。しかし、アンティオコスの一神教の否定とゼウス神への礼拝強要はユダヤ人の反乱を招きました。マカベア戦争によるユダヤ独立の歴史は長くは続かず、紀元前63年には、ローマ帝国のポンペイウスの時から、ユダヤはローマのシリア属州の一部となりました。 結果として、ギリシャ、ローマによる支配は、メシヤのみ言が短期間に世界に伝えられる精神的、環境的な必須の基盤となりました。
  一方、ドイツの哲学者ヤスパースが指摘した通り、沈黙の400年の出発と重なるようにして、歴史の一大枢軸時代が訪れました。ギリシャではソクラテス、プラトン、アリストテレスなどの理想主義哲学者や数多くの自然哲学者が現れ、ペルシャでは、善悪二元論と終末論を説くゾロアスター教が出現。中国では孔子、孟子をはじめとする諸子百家、インドでは釈迦が仏教を創始しました。イラン高原に生まれたミトラ信仰はローマ帝国でも民衆に広まるとともに、弥勒信仰として、中国や日本にまで影響を及ぼしました。
  

修練生の感想

● 第235回14日修 北東京 K.F (31) F

 14日間の済州島での修練会を終えて、本当に有意義で充実した時間を過ごす事が出来たことを心から感謝しております。
 この修練会で具体的に与えられた事は、家庭を出発していくにあたって将来の目的やビジョンが大切だということです。今まで見えていなかったことがおぼろげに見えてきて、主体者との関係においても神様、御父母様を中心として自分が主体者に描く目標があると発展や喜びも大きくなるという事が神様から教えられたことです。また、氏族復帰もこのように成していこうという方向性が見えてきました。自分を通して神様が成していこうとされているということを強く感じる事が出来ました。戻ってからは直接伝道の責任分担を5月末の渡韓修に間に合うように勝利していきます。
 面接を通して、講義を通して日本の使命、これからの行く末を知る事ができ、み言を伝える事の重大さを改めて感じました。家庭出発はゴールではなく、新しい出発ということで再献身の決意をもって与えられた環境で神様、御父母様の為にがんばってゆきます。たくさんの愛と心情を投入してくださったS先生、スタッフの皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

●第235回14日修 西北東京 M.M (31) F

 14日間の修練会、本当にあっという間でした。今月より、再献身もさせていただいた中でめまぐるしく1日1日をこなしていく日々で、まだまだ寂しい思いや胸が裂かれる思い、色々な気持ちがぐるぐるして泣かない日がないくらいの状況下、そんな整理もつかずで送られてきたこの済州島での修練会は、来てみたら全てが癒しでスケジュールもゆとりがあって、日本での今月の入っての歩みをリフレッシュしておいで、として与えてくださった時間だったと心から感謝でありました。心も体も喜んでいる感覚が血がめぐっている様に感じております。
 御父様が愛されて、今も日本食口のために大切にされておられる地、またそれをお支えしながらスタッフの方もいろいろな事情、心情を超えられて守ってくださっているこの修練会は、本当にアットホームな感じで家庭を持つ前に必須な修練会として行われている事もよく伝わりました。私は祝福はまだこれからの立場ですが、数名を除いては皆授かっているそういう兄弟姉妹に囲まれて出会わせていただいたのも、神様が祝福を意識してくださっているなかなとも思いました。
 こんなにも直に愛を感じられたのが不思議なくらいでした。深く泣きながら祈れたのも初めてでしたし、祈ったことがすぐに人を通して教えてくださったのも驚くばかりでした。神様に深く祈って向き合う大切さと、すべての人類が神の子という事を忘れずにこれから生きていきます。沢山の愛をありがとうございました。
  




●第235回14日修 北東京 S.Y (31) F

 14日間本当にありがとうございました。
 5年前の2006年4月に済州島に来させていただいて今度は祝福を頂いた立場で来れて本当に嬉しかったです。美しい海と磯の香りとみずみずしい木々の緑の素晴らしい環境で修練会を受けさせていただき本当に感謝しています。心と体が開放されたと同時に堕落性が出て課題が出てきました。
 私は主体者に対してまだ性格もよくわからないし、愛する情がそんなに沸きませんでした。また、韓日の祝福を受けましたが自分が韓国で生きるという意識も薄い状態でした。主体者であるという実感もそんなにありませんでした。姉妹達との交流の中で主体者に対する情について比べてしまい愛の減少感を感じていました。MさんやUさんに励まして頂きながら主体者に手紙を書いていく中で、修練会前よりも情がいくようになりました。今はまだまだですが、神様と御父母様と共に私のペースでゆっくり愛を育んでいきたいと思いました。
 「ありのままの自分で、正直に、率直に神様に祈っていきましょう」というコメントが心に残り、そういえば正直に祈っていなかったと気付き、全部神様の前に正直に祈りました。韓国で生きる決意が出来ていないし、主体者に対しても心から信じられない部分がありすべてを正直に祈りました。その時、アボジが日本の警官に拷問されたとき「いずれ日本の兄弟姉妹たちが私のためにがんばってくれるときがくる」と耐えられた内容が思い出され、アボジの血と汗と涙の代価ゆえに私が今復帰されて祝福を受けさせていただいたのだと思うと感謝で涙が出てきました。そのように恩讐の国である日本を愛してくださったアボジのように、私も韓国を愛し主体者を愛し韓国で生きる決意が出来ました。
 また、自分の堕落性について祈ったとき、本当に私は堕落人間なんだと実感しました。神様の前に素直に祈れず苦しかったのですが、こんな私をあきらめず愛して許してくださったのだと感じ、神様は私の親であり、私は神様の娘なのだとこの修練会で初めて感じさせて頂きました。私の目標である神様と御父母様と親子の心情因縁を強く結ぶという内容が果たされました。神様は、私がありのままを正直に祈ったら本当に答えてくださるのだと実感しました。神様に躊躇せず正直に心を開いて祈っていこうと決意できました。

 

 

●第84回5日修 北東京 N.K (34) F

 初めて来た済州島でした。実は余り来たくないなーと思っていたのですが来て良かったです。
 御父様が日本の変わりに精誠を尽くされ、多くの先輩がここで学んだ場所、御父様を清平よりも身近に感じる場所でした。王の王として立たれた御父母様がまだ父母として私たちの所へ降りて来られていたその御父様、御父母様の空気を感じる場所でした。
 ここへ来る前1年程は、イエス様を意識していました。クリスチャンの言うメシヤの価値と救いの実感と私の実感が余りにも遠く違うものだったから、まだよく分かっていない(情的にも知的にも)そして、色々祈り、訓読をしてみて今回の修練会でも、そこを意識している部分もあったのですが、実際心に入ってきたのは御父母様の歩み、再臨主を中心とする摂理の内容でした。
 やはり、今は成約時代であり、再臨の時代なんだという事、イエス様の事を学び求めた土台の上で改めて御父母様の歩みを学び、現代に生きる私の目的、歴史の上に立つ私だという事を感じました。今この御父母様が御在名命の内に成すべき事が多いです。私自身も、家庭を持って夫と幸せになって、神様、真の御父母様を喜ばせ共に喜びを共有したいです。

 

●第84回5日修 北東京 W.N (35) F

 み言にどれ位、相対出来たか自分では余り自信がないですが実際に家庭を築くにあたりどんな失敗があったのか、どのように超えていけばよかったのか、お父様はこんあふうに言われたと神様を中心とした時に取るべき教訓を沢山学んで、本当に人間的な考え方では理解できず常に神様を中心として家庭を作らなければいけないんだと分かりました。もっと勉強して祈って、子女達を安心させてあげることのできる家庭を築けるようになりたいです。
 済州はとてもアットホームでみなさん暖かいし清平に負けないくらい心のふるさとだと感じました。少ない人手で修練所を守って下さり本当にありがとうございます。



●第84回5日修 北千葉 H.N (36) M

 相対者と一緒に参加させていただいて本当に良かったです。内外共にとても進展させて頂きました。信仰の原点に立ち返って、周りの人や環境に左右されることなく、原理、み言を中心として日々の生活をしていかないといけないと思います。奥さんと二人で頑張っていきます。

   

研修院の足跡

11. 日本女性指導者5万名教育(22)

研修院

《怨讐を越える》
  怨讐を滅ぼすことのできない神様にとっての唯一の選択は復帰です。サタンとなってしまった天使長を元の善の天使の位置に帰すことです。堕落の動機は愛の減少感でしたから、サタンを元の位置に戻すためには、サタンの求める愛を与える以外には無いのです。神様が何億年も与えてきた本来の愛と変わらない愛を与え続け、その愛の欲求を満たしてあげなければなりません。
  それがどれほど難しい道であったかを初めて文先生が発見されました。
  たとえば、、強盗が押し入り自分の愛する女性を連れ去ったとします。そして、力ずくでその女性を従わせ自分の妻とし、妻となったその女性に自分の子供をたくさん産ませながら、幸せに酔っている、その強盗の姿を見て、怨むのではなく、同じように自分自身の最高の幸せとして喜んであげる世界であるとおっしゃいました。その気が狂うような愛の基準がなければ、サタンを自然屈服することができないのです。
  神様の摂理の成否は人間の責任分担と不可分です。人間の失敗はそのまま神様の摂理の失敗となります。しかも、神様は失敗した人間を責めることができず、どこまでもご自身の責任とみなされます。
  カインに打たれたアベルが血を流しながら死んでゆく姿を見て、それはまだ自分が怨讐を愛することに勝利できていないことの結果であると、胸を打ちながらさらに愛を投入することしかできない神様だったのです。失敗をしてはまた投入するということを繰り返し、神様は何百回、何千回と挑戦してゆかれました。
  そして、はじめて一つの勝利の条件が立てられたのがアブラハムの時だったのです。

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