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済州島便り vol.045(2011/04/15)

周藤先生の講義

5. メシヤの使命(9)

周藤先生

《ユダヤ民族捕虜および帰還時代》 
  神に対する信仰の貞節を失った南ユダは、紀元前605年バビロニアのネブカドネザルU世の前に屈し、バビロンへの捕囚が始まりました。
  楽観的なイスラエル民族は、エレミア、エゼキエルなどの預言者の警告に耳を傾けることなく、紀元前597年に神殿は破壊尽くされます。捕囚民はニップル市やケバル川流域の村に入植させられ、約70年間バビロニアの支配下にありました。
  しかし、小王国アンシャンからペルシャ王国を築きあげたキュロス大王により新バビロニアが征服された紀元前539年以降、ユダヤ民族は捕囚生活から解放されカナンへの帰還を許されます。キュロス王は征服した敵国の王やその民族の宗教や習慣に対して非常に寛容な政策を行いました。ユダヤ民族の歴史の中ではメシヤ(救世主)として尊敬されています。
  カナンの地に戻ったユダヤ民族は、ネヘミヤやエズラの指導のもとで神殿や城壁を再建してゆきます。しかし、干ばつやイナゴの大発生などで民衆の生活は苦しめられ、貧富の差が拡大します。富裕層は雑婚を繰り返し、諸外国の神々を受け入れ、祭司階級までが淪落の道を辿りました。そこで、神は預言者マラキ(エズラと同一と見られる)を遣わされ、メシヤ降臨とエリヤ再臨の予言を中心に信仰の刷新を図られます。
  ユダヤ民族がバビロニアの支配下に置かれてから、70年間の捕虜の生活があり、エズラがエルサレムに帰還した紀元前398年までをユダヤ民族捕虜および帰還時代と見ることができます。
  

修練生の感想

● 第234回14日修 広島 I.S (29) M

 修練会を通して、原理を土台とした明確な神様の願いと、神霊を通して親なる神様の愛と心情を霊人体に刻む事が出来た尊い期間でした。閉校式でS先生が語られた「本質」に「神の息子」という位置に戻る事が一番最初に起こった事です。
 原理と愛する限界にぶち当たる中で変わる事のない絶対的な真の愛を感じ,又今回はアボジの実体のイメージがたくさん目の前に浮かんできました。許しのアボジ、励ますアボジ、叱るアボジ、時には沈黙のアボジもいらっしゃりました。必死になって愛そうとするその道の至るところにアボジが「こうやったらいいんだ!」とか「それは違う!!とか色々な標識を残してくださっている事に気付きました。真の愛の道を進んでくるであろう沢山の子女の為に道に迷わないように、沢山の道標を立てくださっていました。本当に感謝でした。
 本心で悟り、実践し、感動があり、それが大きな財産になるのですが、今回は心情に刻みこまれる内容がたくさんありました。とても深く忘れられない出来事が多かったのですが、それはすべて相対者のおかげです。人に対して無意識に警戒心が働くのですが、永遠を共にする相対者に対してその姿勢はしたくないと思ったし,相対者が苦しんでいるのにそれに応えないことは出来ないと思い、嘘偽りのない自分となってコミュニケーションをとるようにしました。
 小さな一歩ではありますが、互いに大きく踏み出し、歩み寄る事ができたと思います。修練会当初は相対者が自分の意識に入ってこないことがありましたが、終わってみるとその存在は大きくなっています。相対者を通して愛と心情が互いの霊人体に刻まれ、それが一人の思いではなく共有しているから大きいんだろうと思いました。これからはすべての人たちと永遠性をもったより深い家族となれるような投入をこころがけます。


 

●第234回14日修 海外 H.I (26) F

 今回この日本指導者特別修練会に参加できた事を神様にとても感謝しています。
 毎日見る水平線がとても美しく、御父様が多くの精誠を尽くされたこの修練所は、自分自身が素直になれとても祈りやすい環境でした。私は普段の生活の中で原理講義を聴く機会がなかった分、とても多くの内容を学ばせていただき、S先生をはじめ親切にしてくださったスタッフの方々にも心から感謝しています。私は今回、家庭出発する前に理想家庭に近づけるように再出発する、という決意をもって参加させていただきました。
 講義の中で御父様のみ言葉も一緒に語ってくださり、自分自身に必要な内容が与えられる事も少なくありませんでした。そしてその中で神の愛を実感し、神様が私を優しく正してくださり、良心に語ってくださるのを感じました。祈りを通し、神様の愛と御父母様の精誠によって私が生かされている事を知り、感謝の涙があふれてとまりませんでした。
 また、ここまで私を育ててきてくれた母の精誠も感じる事が出来、悩ませてしまった分これからは希望となっていきたいと思いました。今、私が歴史の先頭に立っている事、これから神の血統を残すための責任を強く感じました。
 今回、日本で大きな地震があり、エバ国家として悔い改めさせられる機会にもなり、被害にあわれた食口の方々の無事を祈りました。会ったこともないけれど、とても心配になり、私たちは自然と食口というだけで兄弟姉妹のように近く感じて心も近くなっているのだと分かりました。
 今回の修練会の中で神様は必ず乗り越えられない試練は与えられない事、この期間の中で成長してほしい内容を与えてくださったのだと分かりました。どんなに失敗しても立ち上がる強さと、神様を愛する心情を忘れずに出発します。また済州島に来たいです。
  



●第234回14日修 南長野 O.M (34) F

 一日一日を新しい心情で迎えられたことが感動でした。自分自身に対して持っていた不足な思いや整理できない環境があり、恐いほど固い顔で修練会にきた私でした。
 み言葉が心に浸みました。一番うれしかったのはお祈りが出来た事でした。神様に通じる私のアンテナが立てられていなかったので、いつも親の心情で見つめてくださるお父様の愛を受けとめることが出来ていませんでした。私は一人ではなかった、神様はいつも一緒にいてくれたと気付きました。そのことを実感できたことが一番うれしかったことでした。
 自分でつくったものは何もありませんでした。両親も弟も仕事も家もすべて天から与えられた環境でした。そのことが分かったので、失ったものはもともとなかったのだと分かりました。すべて神様が私を成長させるために必要で、相応しいものとして与えてくださったものでした。この命も、生かして下さる神様の願いの中に委ねていきたいと思いました。自分自身を否定するのはやめて、自分の成長に合わせて進んでいくことにします。とても気持ちが楽になりました。
 み言葉の背後に、言葉を語る講師の方を通しての神様の愛があることを実感しました。厚いカーテンが一枚一枚上がってゆくように、持って来た心の重荷がきれいに整理されました。み言葉は本当にすごいと実感しました。
 2013年を真の御父母様と近い心情で迎えられるように、真の御父母様の事情圏にたって忍耐しお祈りし、心を正しながら明るく元気に出発したいと思います。

 

 

●第83回5日修 福岡 I.K (28) M

 神様の夢である理想家庭を築く為に、み言によって出発しようという動機で修練会に参加しました。
 み言を受けながら、祝福を授かったということが真の御父母様が私に下さった幸せになる最高の贈り物であり、また個人の幸せを越えて、神様の果すことのできなかった悲願を果たすことになるのだと感じました。
 特に、神様は堕落によってエデンの園から御自分が追放され、住む家が無く、放浪者のようにして来られということ。真の愛が表現される家庭こそ神様の住所になるということが、強く心に残りました。早く神様が住まわれる家を作りたい、それが家庭出発の大きな動機になりました。その為に、相手の状況がどうであっても、相対者を愛し続け、幸せを与え続ける主体者になる挑戦をし続けていきたいと思います。
 終わってみれば、神様を慰め喜ばせたいという、自分自身の信仰の原点に返る事ができた修練会でした。

 


●第83回5日修 北千葉 S.A (29) F

 今回、日本が震災で大変な中ですが、済州島の修練会に参加させて頂けたことが喜びで、本当に感謝しています。
 今まで日本では信仰生活が殆ど出来ておらず、参加させていただく前はこの基準で大丈夫かとか、色々不安と葛藤で苦しい気持ちがいっぱいでした。面接をして頂いて、自分の心の内を話したら、とても楽になりました。とても前向きな言葉をかけて頂きました。
 本当に、周りの方の2倍、3倍と努力しないとついて行けない思いでしたが、自分のペースで、焦らずゆっくりやっていったらいいとアドバイスを頂き、本当に大事なのは神様を意識した生活をすること、そして、神様が与えてくださった主体者と仲良くやる事だと教えて頂きました。
 神様の愛を沢山頂いているので、私も親孝行出来る人間に成長していきたいです。今回短い期間でしたが、講義の内容はもちろん、主体者と沢山コミュニケーションが取れた事、そして修練生の方々ととても仲良くなれた事など沢山得たものがありました。

   

研修院の足跡

11. 日本女性指導者5万名教育(21)

研修院

《神の姦夫》
  エバは神様にとって創造の全歴史過程を通して待ちに待った愛の相対でした。天使長はこの新郎となるべき神様から花嫁を略奪し、たった一つの愛を蹂躙した愛の怨讐となりました。文先生は、これを「姦夫」と呼ばれます。
  この愛の怨讐に対する男性の心情には、本来許しがありません。多くの映画、ドラマで描かれている通り、男であれば、この愛する女性を救うためには、いかに強大な敵であろうとも立ち向かい、それをなぎ倒して目的を果たすという思いを抱くものです。
  しかし、神様にはこの許し難い愛の怨讐に真っ向から敵対できない理由がありました。
  まず、天使長も永遠なる霊を持って創造された被造物であるため、神はそれを破壊することができません。破壊したならば、創造に失敗した事実を永遠に消すことができなくなります。また、サタンも本来善の天使として創造され、神様の僕として神の本然の愛を受ける対象でした。その対象を破壊したならば、やはり永遠の悲しみとして残るのです。
  この問題を解決するために、神様はサタンの言い分を聞かなければなりませんでした。サタンは「神様、私は確かに堕落してサタンとなりました。しかし、何故私がサタンとなってしまったか、神様、あなたはその理由を御存じです。それはあなたの愛が欲しかったからです」。サタンの堕落行為の出発は、愛の減少感でした。さらに「私は被造物ですから変わることもあります。しかし、あなたは永遠、不変、絶対の神様ではありませんか。あなたのその愛が変わることは無い筈です。もし変わったならば、私はもはやあなたを絶対者とは認めることができません」と訴えました。

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