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済州島便り vol.043(2011/02/15)

周藤先生の講義

5. メシヤの使命(7)

周藤先生

   歴史が繰り返しの様相を見せたり、枢軸時代という現象が現れるのは、不変性と絶対性をもつ神様の摂理の目的があるからです。 しかしながら、神様のみ旨は神様だけでは果たすことが出来ず、絶えず人間の責任分担が問われる為に、歴史上、多くの挫折と延長が繰り返されてきました。それが摂理の同時性が生じる理由です。神様は創造主の責任において、必要な環境を造成されますが、そのみ旨の為に召命をうけた個人、家庭、さらには民族が神様の目的と一致した使命を果たせなければ、また、それが後代の人々に託されるようになります。
   アブラハム、イサク、ヤコブという三代の家庭は神様の摂理の中でメシヤを生み出す為に、人間としての一定の責任を果たした信仰者たちでした。神様が祝福の地としてアブラハムに与えたカナンを中心に、メシヤを迎える環境が作られるまでに2000年の期間が必要でした。その摂理の主役となったのがアブラハムの後孫、イスラエル民族です。
   イスラエルの歴史は400年間のエジプトでの奴隷生活から始まり、民族的指導者モーセに導かれて荒野をめぐり、カナンに戻って後、士師が国を守った士師時代400年が続きました。更にサウル、ダビデ、ソロモンと続く統一王国時代の120年でイスラエルは広大な国土を持つ国となりました。
   しかし、偉大な知恵を持ったソロモンも晩年は信仰の基台が揺らぐと共に、イスラエルは北の10部族と南の2部族にわかれ、400年間も続く南北王朝分立の時代を通過するようになりました。
  

修練生の感想

● 第232回14日修 南千葉 N.Y (28) M

 今回は、初めて相対者と一緒に修練会に参加したのですが、こんなに長い時間一緒にいたことがなかたし、原理を一緒に学ぶこともなかったので、今回は同じ御言を受け、授受する時間もたくさんあって、神様を中心に、また二人の中が深まりました。相対者は修練会というものが大きなハードルで、14日間もの長い修練会に参加するのが少し心配でしたが本当に頑張っていて、その姿を見て僕自身も力をもらいました。
 講義では、祈りの重要性、自分が神様の息子であるということ、祝福の尊さのところが心に残りました。今まで形式的な祈りをしてしまったり、祈りというものを軽視してしまう時があったのですが、人類歴史の中で、エバ、アダムなど摂理を失敗してしまった背後に祈りを持って神様に繋がれなかったところにあったということを聞いて、どんなに小さなことでも神様を中心において歩んでいくことが本当に重要だと感じたので、これから祈りの生活を生命死していきながら、神様と共に歩んでいきたいと思います。そしてもうひとつは、自分には堕落性はあるけれど、神様の息子であるということに対して確信を持って行きたいと思いました。
 そして、祝福の尊さを改めて学ばせてもらいました。祝福は、神様の創造理想で神様が僕達人間に与えてくれた最高の愛であったのに、イエス様で設けられなかったものをこんなにも足りない僕が与えられていて、お父様の勝利圏の偉大さを感じました。お父様は、全人類に祝福を与え、神様を解放されようと一番近いものを犠牲にされ、恩讐を愛してこられながら、休むことなく歩み続けて居られるお父様を、一日でも早く解放して差し上げたいと思いました。
 今祝福を与えられて、幸せの道を歩ませてもらっている背後に神様と真の御父母様の苦労と犠牲と精誠の土台があることをしっかり握りしめて神様の願う理想家庭を築いて神様と真の御父母樣に喜びと希望をお返ししていきたいです。  

●第232回14日修 南東京 T.S (27) M

 この14日間は私とって夢のような時間でした。アボジの投入された済州島で、アボジの精誠の心情を肌身に感じながら、多くの御言と祈祷の生活を通して私自身の心霊がどんどん明るくなるのを実感しました。最初は緊張して、この14日間どうなるのかと不安も多かったのですが、良き兄弟姉妹たちに恵まれて、すぐにこの環境に馴染んでいきました。振り返れば長いと思っていた修練会も本当にあっという間に終わってしまいました。
 この修練会で、本当に大切な事を教えていただきました。それは祝福に対する姿勢でした。今まで私は自分なりに祝福や相対者について捉えていて、正直祝福について全く希望を持てていませんでした。しかし、私の中で衝撃だったのは、S講師の成約摂理の内容でした。相対者によって私が完成していくし、神様もその愛を共に感じられ成長されていくのだと知りました。また神様は全く違った相対をあえて与えて下さり、共に高めあって愛を成長させていくんだと。だから「理想相対」なんだと知り、一気に相対者が与えられていることが感謝に変わりました。
 神様は私のために準備してくださった相対者だと知って、喜びに変わっていきました。祝福に対して恨みがあった私でしたが、神様とアボジの精誠、そしてスタッフの皆さんと共に歩んだ11名の兄弟姉妹たちの精誠によって産み変えられました。とても心が穏やかになりました。ここで得たものは一生の宝です。この感動を決して忘れることなく、神様の夢に向かって更に前進し、輝ける祝福家庭を築いて一杯神様に、アボジに喜びを返していけるよう、これからも頑張っていきたいと思っています。


 

●第232回14日修 全羅南道 M.S (28) F

 修練会に行く当日の朝から主体者の言葉にイライラし、主体者に対する今までの多くの不満も沸き上がってきて、カイン的な心情での出発でした。しかし講義や面接、お祈りの中で、主体者が今まで私にしてくれたことに対して、あたりまえだと捉えていて、それが大きな間違いであったことを気付かされました。自分の思い通りにならないと、いつも主体者のせいにして、自分はなにも悪く無いと思っていました。神様は愛する対象として、完全投入で創造されたアダムとエバが堕落して、神様から離れてしまって、神様は6000年間孤独な歩みをしてこられました。それなのに私は神様から与えていただいた主体者に感謝もせず、神様にどれだけ親不孝をしてきただろうと思いました。神様の孤独で辛く悲しい心情を考えると、主体者を与えていただいたことがどれだけ尊いことか分かりました。主体者に対して、今までしてくれたことに対する感謝の気持ちを伝えて、今度は私が主体者に多くの美を返していこうと決意させられました。そして、主体者を神様の目で見つめ、主体者が喜んでくれることをしてあげようと思います。
  

●第232回14日修 奈良 S.H (25) F

 この修練会は、家庭出発のために必ずでなければならない修練会だったし、また神様を中心に再出発をしたいという動機で参加しました。終わってみて、本当にこの場に来ることが出来てよかったと感じるし、神様が導いてくださったのだと、心の底から思います。祝福を受けて3年経ちこれまで色々な心情を通過しながら時には逃げ出しそうになりながら、でも神様、父母様、周りの人々に支えていただき、いよいよ家庭出発目前まで来ることができました。
 原理、摂理の内容を聞きながら、私は本質的に「神の子」なんだということに喜びを感じました。自分の堕落性、嫌なところ、不足な面ばかり見えていましたが、神の愛を昔も今もこれからも受けていく神の子なんだという原点に立ち返ることができました。
 そして何よりも祝福の尊さを知ることができました。神様が始めに成したかったけれど、人間始祖の堕落によって出来なかったことが今、御父母様を通してなされていっています。私にはなんの条件もなかったですが、こうして神の理想をなしていく一員であることがどれだけ感謝で素晴らしいことか知りました。そして神様は私のことまた主体者のことを誰よりも良く知っていらっしゃって、こうやって結びあわせてくださったのだと感じました。

 

●第232回14日修 東神奈川 H.M (35) F

 この修練会に来れて本当によかったです。始めは、渡韓も兼ねて来たということもあり、内外ともにぐちゃぐちゃでどうなることかと思いました。でも一日一日御言を聞いていく中で、御父母様をとっても近くに感じました。お父様が祈った岩で祈祷したとき、お父様は本当に日本のために祈っておられることを実感しました。神様が私を愛したくて呼んでくださったと思うと、心が落ち着いて御言も入るようになりました。自分の願いはなんなのかと、なかなか繋がらなかった過去とも、スーッと、韓日一体化のために責任をもっていくことなんだなと、そのためにお父様に呼ばれたのだと、私を必要としてくださっていると思うとうれしくて涙が出ました。
 私はこれからですが、何年も前から韓国で精誠を尽くしてこられた先輩家庭がいることはほんとうに感謝です。ようやく出発する覚悟をこの地で出来ました。まだ課題はたくさんありますが、S講師から流れる父の愛、スタッフのかたの母の愛と修練生の兄弟姉妹の愛を沢山感じながら、14日間学べたことはとっても感謝です。本当にありがとうございました。


●第81回5日修 南東京 H.S (30) M

  神の創造理想に基づいた理想家庭の姿は、とっても素晴らしく、輝かしく思えるものがありました。その反面、真の血統を地上に顕現させるためのとてもつもない真の愛の闘いには想像を絶するものがありました。今当たり前のようにしてここにいる私自身ではなく、神様が、父母様が切り開いてくださったゆえのこの瞬間であることを忘れてはならないと想う。ただ、自らが望む家庭ではなく、父母様の種をしっかりと相続した家庭像を描いていかなければならないと想う。日々の生活の中では祈りを大切にしていきたい。忙しい生活になると小さな積み重ねがおろそかになるので、父母様が出会ってきた神様の世界にたどり着くことが出来るようにしていきたい。



●第81回5日修 南千葉 L.T (41) F

 短い期間ですが、沢山の内容を学べて、今までよりも分かりやすく理解できるようになりました。人類は堕落によって神様との関係は切れてしまい、神様自身、孤独で悲惨な立場になってしまいました。復帰摂理、再創造を通して、神様の創造理想、目的を実現しない限り、地上天国と天上天国は現れない。原理は本当に人生の羅針盤、骨、宝物です。でも同時にその難しさと深さも感じました。原理を何回も聞きましたが、今回は深く、分かりやすく理解できて、まだ聞きたいなあと強く感じております。

 

● 第81回5日修 西摩東京教区 Y.Y (38) F

 この修練会は家庭修に進むための一つの条件であると聞いて、慌てて申し込んで、荷物をまとめて…という、あまりにも内外の準備が足りない状態での参加でした。それにもかかわらず、神様は私に必要な御言をたくさん与えて下さり、素晴らしい兄弟姉妹との出会いを与えて下さりました。もっと良く祈り、良く条件を立て、精誠を尽くして参加すれば、神様、真の御父母樣のことをより深く知ることができたかもしれないと思うと、正直悔やまれます。二度とこのような過ちをしないように気を付けようと思いました。
 今回の修練会では、祈祷、神様、真のご父母様との永遠なる関係を断ち切らないこと、神様、真の御父母様のためにも、この尊い祝福を二人で守ってゆくこと等、これからの歩みで自分が心がけるべきことを御言を通して、手取り足取り教えていただきました。今後、様々な試練にぶつかることもあると思いますが、その時は原理に立ち返り、神様、真の御父母樣に祈りつつ、二人で共に乗り越えて、一日も早く神様をお迎えできるような、真の家庭を築いていきたいと思います。


 ● 第81回5日修 北東京教区 S.T (32) F

 成約摂理の重要な骨組みを集中して学ぶことで、原理の素晴らしさ、神様と真の御父母様の存在の有り難さ、祝福の素晴らしさを改めて知ることができ、本当にこの道に導かれてよかったと神様に感謝しました。
 同時に祝福家庭の責任も感じ、原理を応用しながら、神様が喜ばれる真の家庭を、心情投入して創り上げていきたいと思いました。これからは初めてのことばかりで迷ったりとどまったりすることがあると思いますが、いつも神様に祈り求めて、自分の中の良心に尋ねながら歩んでいきたいと思います。
 スケジュールに散歩を含めてくださったことで、真のお父様が行かれた場所に立ち寄ったり、済州島に来ている実感が持てたことが良かったです。良い気分転換にもなり、その後の講義に集中できました。閉講式でのメモリアル上映では、素晴らしい完成度に驚きました。記録を取る側の心情が愛に溢れているためだと感じ、自分の想いを振り返って、悔い改めさせられました。
 同じ班になった姉妹達との授受作用で多くを学ばせていただき、良き出会いを与えられたことを神様に感謝して、自分の歩みを神様の願いに応えることが出来るように意識して前進していきたいと思います。この期間中、自分が家庭出発に向けて様々備えていかなければならない時を迎えていること認識できました。日々の生活に流されることなく、着実に摂理を進めていく助けとなる歩みができるように、よく神様と真の御父母様とつながって歩んでいきたいと思います。


 

研修院の足跡

11. 日本女性指導者5万名教育(19)

研修院

《堕落はサタン中心の血統転換》
   全ての存在には、そのあるべき本質の姿があります。その軌道を逸脱すれば、その本来の価値を発揮できず破壊的な結末に至る様になります。
   人間にもその本質があり人種、民族、時代を問わず無形なる父母、神様から生まれた子女であり、愛を持って万物世界を主管する万物の霊長としての本質です。
   この人間の本質が歪められたのが人間の堕落という出来事でした。男女の愛、夫婦の愛からは新しい生命が誕生するという特異性があります。神様の許しと祝福の中でこの愛が結ばれれば、そこからは神様の種を受け継ぐ神の子供たちが生まれます。しかしながら、人間始祖アダムとエバは天使長を動機とする自己中心的な愛で、神様と無関係のところで一つとなりました。
   それによって自らも神の子としての本質を失うと共に、サタンの破壊的な性質をも合わせ持つ、罪の子供たちの根となってしまいました。ドラキュラ、ゾンビと言った多くの映画の中でも取り上げられてきたテーマ、すなわち善良な人間が突然凶暴な悪の存在に変性してしまうという描写は、堕落の事実を暗示しています。
   神様は人間を通してご自身の愛も完成する尊い価値を持つ存在として人間を創造されました。親は子供に対して生命の出発点であると同時に、子女を通してのみ親としての愛と人格が成長することと相似しています。しかし、人間始祖の堕落は、人間を神の子女の立場から悪魔の子女の立場に転落せしめると同時に、真の神様を親の位置から追放するという結果をもたらしました。聖書の各所で記されたように、サタンがこの世の神となり、君(王)となり、また、偽りの父となりました。それを許したのが人間でした。その人間が増え広がり、神様の本然の愛の理想とは余りにもかけ離れた世界を生み出しました。

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